「看護師、山にのぼる。自分を探す旅のはじまり」

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長野に移住して1年が経った。
そもそも私たちが移住を決めたのは、二人とも山が好きだったからだ。
今日はそんな“山”との出会いについて少し書いてみたい。

初めて登ったのは、奈良県の葛城山という標高1,000mほどの低山。
当時、看護助手をしていた友人に誘われて一緒に登ったのがきっかけだった。
そのときは、しんどい、息が切れる、下山後は筋肉痛……と、正直いい思い出ばかりではなかった。
でも同時に「自分の力でここまで登れた」という達成感と、こんな世界があるんだという驚きがあった。そして何より、「これなら自分にもできるかも」「もっとこの世界を知りたい」と感じたことが、山を好きになる原点だったのかもしれない。

その数週間後には、一人で京都の愛宕山に登った。
山の危険性も知っていたので、最低限の装備やルート確認は怠らなかった。
愛宕山も葛城山と同じくらいの標高だったが、山頂の景色は木々にさえぎられていまいちだった。
でも、下山で使ったルートは、まるで“子どもの頃に遊んだアスレチック”みたいでワクワクしたのを覚えている。

昔、大きな運動公園にあるアスレチックが大好きだった。
くたくたになるまで遊んで、疲れなんて感じなかったあの感覚。
大人になって「運動=しんどい」と思うようになっていたけれど、もともと身体を動かすことが好きだったんだという原点を思い出した気がした。

次に登ったのは奈良の大峰山(八経ヶ岳)。
今度は「次は2,000m級に挑戦したい」と思った。
標高が上がると景色も空気もまるで違った。
山々に囲まれた空間には、美しさだけでなく神聖さのような空気が漂っていた。

そして、3カ月目にはついに剱岳(標高約3,000m)に挑戦した。
ここは「日本で最も危険」とも言われる一般登山道を持つ山だ。


今思えば、あれは勇気ではなく、ただの無謀だった。
登ったのは7月末。街では夏でも、剱岳はまだ“残雪期”と呼ばれる季節。
初心者が単独で入山してよい時期ではなかった。

どうして、そんなに山にのめり込んでいったのか。
それは、私が看護師3年目に入った頃。
仕事がうまくいかず、何もかもが嫌になっていた時期だった。
30代前半、周囲の友人たちは次々と結婚していく。
そんな中、自分には頑張れるものがなくて、ただ日々を消化するように生きていた。

家で過ごす休日も、仕事のことが頭から離れない。
一言でいえば「おもしろくなかった」。

そんなとき、山に登っている間だけはすべてを忘れられた。
新しい装備を手に入れて、ステップアップしながら“冒険”することが、たまらなく面白かった。
それが、山を好きになった理由だった。

剱岳では、いくつもの「雪渓(せっけい)」が残っていた。
3000m級の雪渓は、ひとたび足を滑らせれば谷底まで一気に落ちる危険な場所も多い。
本来なら、アイゼンやピッケルといった装備が必要なはずだったが、
山をなめていた私は、軽アイゼンすら持たずに挑戦していた。

あのとき一歩間違えていれば、私はこの世にいなかったかもしれない――。

(続く)

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